木曜担当の加藤です。
今日は8月号の入稿日(印刷所へ原稿を入れる日)でした。
先ほど、無事入稿!
ということで、ようやくブログを書き始められます。
小学校のころからバレーボールをやっていたせいか、
スポーツをやるのも見るのも大好きな私。
バレーボール、サッカー、バスケットボール、バトミントン、卓球、テニス、野球……、
どれも中継をしていたら必ず手を止めて見てしまうほどです。
最近で、一番印象に残ったニュースは
日本選手権男子100メートル決勝です!!
1位がケンブリッジ飛鳥選手、10秒16。
2位は山縣亮太選手、10秒17。
そして、9秒台にもっとも近いと期待されていた、あの桐生祥秀選手が10秒31で3位。
試合後、悔し涙を流す桐生祥秀選手がとても印象に残りました。
高校時代からずっと一番にテープを切ることを期待され、それに応えてきた彼が
二人の背中を見てゴールする日が来るなんて。
でもきっと、この悔しさが桐生選手を成長させてくれることでしょう。
今度は彼が「挑戦者」になるのですから。
ウサイン・ボルトの所属するチームで練習し、心身ともに変化したケンブリッジ飛鳥選手。
直前までトップを走りながら後半抜かれ、悔しい思いをした山縣選手も実力は充分。
三人とも、リオオリンピック代表に決定!
ますます楽しみになってきました。
さて、挑戦といえば…
「俳句界」では今、いろいろな賞や大会の句を募集しています!
●北斗賞…6月30日(木)消印有効(まだ間に合います!)
●蕪村顕彰全国俳句大会…7月8日(金)必着
●山本健吉評論賞…8月31日(水)消印有効
●全国方言俳句…8月31日(水)消印有効
(募集の詳細は「俳句界」をご確認ください)
ぜひ、今まで投句や投稿をされたことのない方も挑戦してみてください。
もちろん、投句もお待ちしております!
ではまた来週。
このブログを検索
2016年6月30日木曜日
2016年6月29日水曜日
訃報
こんにちは、松本です。
入稿前で忙しい時期だというのに、昨日はお腹を壊してお休みをいただいてしまいました。
編集長が昨日のブログで「自分の体調は自分でしっかり管理するように!」と言っていると書いていますが、噓八百ですのであしからず~。
この編集部内で一番疲れが体に出るのは編集長かと思われます。
意外と繊細で、「昨日は眠れなかったんだよね、ぼく」と言ってダウンしています。
年かしら……。
以上、年甲斐もないやり返しでした。
--------
今日は出社したら、悲しいお知らせが机の上に置いてありました。
「橘」名誉副主宰の松本翠先生の訃報です。
先日、現主宰の佐怒賀直美先生と撮影でご一緒したばかりだったので、驚きました。
その時から、体調が悪いと聞いていたのですが、早すぎました……。
松本旭先生は、昨年の10月にお亡くなりになりました。
旭先生とは、グラビア撮影で二度ご一緒させていただきまして、いつも翠先生が付き添っていらっしゃいました。
旭先生はとても健脚で、時にわれわれを置いてすたすたと歩いて行かれて、「先生、待ってください!」とこちらが追いかけることもしばしば。
奥様に対して、「翠さん」と呼びかけられるのが素敵で、未婚の私は「こんな夫婦が理想だな~」と思っていました。
お二人は、埼玉の上尾にずっとお住まいでした。それこそ、戦後の何もない時代から、上尾の自然と発展を見守ってこられたとか。
翠先生が、
「戦後はこのあたりは何にもなくって真っ平でねえ。今ではこんなに賑やかになっちゃって」
と感慨深げにおっしゃっていたのが印象的でした。
戦争を知らない私には、その移り変わりの一端すら想像できませんでした。
戦後の焼野原から復興していった街をどういう思いで見つめ、暮らしてきたのか。お二人の眼差しには今の日本がどう見えているのだろうか……、と思ったものです。
「橘の目指すもの」の中に、こんな一文があります。
一、自分を”生み出でしもの”への感謝を忘れまい。そこからゆたかな俳句が生まれる。
生み出でしものとは、両親・先祖だけでなく、この上尾の地も含まれているのでしょう。
この仕事をしていて、訃報に接することが多いのですが、ご夫婦で続けて……というのは初めてだったので、切ないです。
しかし今頃きっと、久しぶりの再会を喜んでいらっしゃるのでしょう。
謹んでご冥福をお祈りします。
栗の花妻後ろよりもう来るか 旭
濃あぢさゐ見えぬとこから声がして 翠
(「橘」2016年6月号より)
入稿前で忙しい時期だというのに、昨日はお腹を壊してお休みをいただいてしまいました。
編集長が昨日のブログで「自分の体調は自分でしっかり管理するように!」と言っていると書いていますが、噓八百ですのであしからず~。
この編集部内で一番疲れが体に出るのは編集長かと思われます。
意外と繊細で、「昨日は眠れなかったんだよね、ぼく」と言ってダウンしています。
年かしら……。
以上、年甲斐もないやり返しでした。
--------
今日は出社したら、悲しいお知らせが机の上に置いてありました。
「橘」名誉副主宰の松本翠先生の訃報です。
先日、現主宰の佐怒賀直美先生と撮影でご一緒したばかりだったので、驚きました。
その時から、体調が悪いと聞いていたのですが、早すぎました……。
松本旭先生は、昨年の10月にお亡くなりになりました。
旭先生とは、グラビア撮影で二度ご一緒させていただきまして、いつも翠先生が付き添っていらっしゃいました。
旭先生はとても健脚で、時にわれわれを置いてすたすたと歩いて行かれて、「先生、待ってください!」とこちらが追いかけることもしばしば。
奥様に対して、「翠さん」と呼びかけられるのが素敵で、未婚の私は「こんな夫婦が理想だな~」と思っていました。
お二人は、埼玉の上尾にずっとお住まいでした。それこそ、戦後の何もない時代から、上尾の自然と発展を見守ってこられたとか。
翠先生が、
「戦後はこのあたりは何にもなくって真っ平でねえ。今ではこんなに賑やかになっちゃって」
と感慨深げにおっしゃっていたのが印象的でした。
戦争を知らない私には、その移り変わりの一端すら想像できませんでした。
戦後の焼野原から復興していった街をどういう思いで見つめ、暮らしてきたのか。お二人の眼差しには今の日本がどう見えているのだろうか……、と思ったものです。
「橘の目指すもの」の中に、こんな一文があります。
一、自分を”生み出でしもの”への感謝を忘れまい。そこからゆたかな俳句が生まれる。
生み出でしものとは、両親・先祖だけでなく、この上尾の地も含まれているのでしょう。
この仕事をしていて、訃報に接することが多いのですが、ご夫婦で続けて……というのは初めてだったので、切ないです。
しかし今頃きっと、久しぶりの再会を喜んでいらっしゃるのでしょう。
謹んでご冥福をお祈りします。
栗の花妻後ろよりもう来るか 旭
濃あぢさゐ見えぬとこから声がして 翠
(「橘」2016年6月号より)
2016年6月28日火曜日
「おくのほそ道」踏破の旅に行ってきました。
こんにちは。
編集長の林です。
今日は雑誌の追い込みなのですが、副編集長の松本が風邪で休んでおります。
どうやら寝冷えのようです。
おやおや…。
仕事に厳しく自分に厳しく
がモットーの私は、
自分の体調は自分でしっかり管理するように!
とふだんから口が酸っぱくなるくらいスタッフに言っているのですが…。
やれやれ…「親の心子知らず」とはこのことですな…。
さて、週末は「おくのほそ道」踏破の旅に行ってきました。
今回は栃木県日光から福島県白河まで。
まずは日光駅を降り、雨けぶりの日光の山々をのぞみながら、玉入(現・栃木県塩谷郡塩谷町玉生)へ。
「おくのほそ道」踏破の旅は、芭蕉の同行者・河合曽良が残した「随行日記」を便りに、芭蕉の歩いた道を忠実に歩くのである。
玉入は、芭蕉が宿泊した町、こういってはなんだか「こんな町があったのか」というほど小さな小さな町でした。
玉入を抜け、芭蕉が、詩の妖精「かさね」と出会い、
かさねとは八重撫子の名成るべし
(かさねとは やえなでしこの ななるべし)
と曽良が詠んだ、広大な那須野原をひたすら歩くと黒羽へ。
啄木も庵は破らず夏木立 (雲厳寺)
(きつつきも いおはやぶらず なつこだち)
(那須湯本 殺生石)
田一枚植て立ち去る柳かな (芦野 遊行柳)
(たいちまい うえてたちさる やなぎかな)
※私はこの場所が泣きたくなるくらい好きである。
卯の花をかざしに関の晴着かな 曽良 (福島 白河の関)
などを歩いてきた。
この踏破は正直、これまでの東海道、中仙道踏破とくらべてかなり危険である。
宿がないのと、近くに電車が通っていないところばかりなのだ。
綿密に考えないと大変なことになると思う。
ともあれ、やはり「おくのほそ道」はいい。
不便ではあるが、感動がたくさんある。
今回は黒羽の住人で芭蕉の弟子だった桃雪宅跡や翠桃宅を訪ねたり、曽良の「随行日記」を見て、芭蕉が行ったというところすべて歩いてゆくので大変である。
マニアックな話がたくさんあるが、長くなるのでこころへんで。
「おくのほそ道」好きのみなさん、ぜひ一度集まって「おくのほそ道話」で飲みたいですな…。
編集長の林です。
今日は雑誌の追い込みなのですが、副編集長の松本が風邪で休んでおります。
どうやら寝冷えのようです。
おやおや…。
仕事に厳しく自分に厳しく
がモットーの私は、
自分の体調は自分でしっかり管理するように!
とふだんから口が酸っぱくなるくらいスタッフに言っているのですが…。
やれやれ…「親の心子知らず」とはこのことですな…。
さて、週末は「おくのほそ道」踏破の旅に行ってきました。
今回は栃木県日光から福島県白河まで。
まずは日光駅を降り、雨けぶりの日光の山々をのぞみながら、玉入(現・栃木県塩谷郡塩谷町玉生)へ。
「おくのほそ道」踏破の旅は、芭蕉の同行者・河合曽良が残した「随行日記」を便りに、芭蕉の歩いた道を忠実に歩くのである。
玉入は、芭蕉が宿泊した町、こういってはなんだか「こんな町があったのか」というほど小さな小さな町でした。
玉入を抜け、芭蕉が、詩の妖精「かさね」と出会い、
かさねとは八重撫子の名成るべし
(かさねとは やえなでしこの ななるべし)
と曽良が詠んだ、広大な那須野原をひたすら歩くと黒羽へ。
啄木も庵は破らず夏木立 (雲厳寺)
(きつつきも いおはやぶらず なつこだち)
(那須湯本 殺生石)
田一枚植て立ち去る柳かな (芦野 遊行柳)
(たいちまい うえてたちさる やなぎかな)
※私はこの場所が泣きたくなるくらい好きである。
卯の花をかざしに関の晴着かな 曽良 (福島 白河の関)
などを歩いてきた。
この踏破は正直、これまでの東海道、中仙道踏破とくらべてかなり危険である。
宿がないのと、近くに電車が通っていないところばかりなのだ。
綿密に考えないと大変なことになると思う。
ともあれ、やはり「おくのほそ道」はいい。
不便ではあるが、感動がたくさんある。
今回は黒羽の住人で芭蕉の弟子だった桃雪宅跡や翠桃宅を訪ねたり、曽良の「随行日記」を見て、芭蕉が行ったというところすべて歩いてゆくので大変である。
マニアックな話がたくさんあるが、長くなるのでこころへんで。
「おくのほそ道」好きのみなさん、ぜひ一度集まって「おくのほそ道話」で飲みたいですな…。
2016年6月24日金曜日
7月号、明日発売です!
こんばんは、遠藤です。
いよいよ明日から、7月号が書店に並びます(^^)
定期購読されている方は、もうお手元にとどいている頃ですね!
すでに届いた方から、追加のご注文をいただいたので
今日はその発送をしました。
ありがたいことです!
7月号発売、ということは
上半期が終わってしまうのですね……
ほんとうにあっという間です。
運動しなければ、と思うだけで何もせず
この半年、いや1年近くが過ぎてしまいました…
水泳や空手など、身ひとつでできるものに
関心はあるのですが、なかなか。
このまま今年が終わってしまうのでしょうか。そんな気がします。
いよいよ明日から、7月号が書店に並びます(^^)
定期購読されている方は、もうお手元にとどいている頃ですね!
すでに届いた方から、追加のご注文をいただいたので
今日はその発送をしました。
ありがたいことです!
7月号発売、ということは
上半期が終わってしまうのですね……
ほんとうにあっという間です。
運動しなければ、と思うだけで何もせず
この半年、いや1年近くが過ぎてしまいました…
水泳や空手など、身ひとつでできるものに
関心はあるのですが、なかなか。
このまま今年が終わってしまうのでしょうか。そんな気がします。
2016年6月23日木曜日
社会科見学へ
木曜担当の加藤です。
子どもの頃、近所にあった活版印刷の小さな工場へ
よく覗き見しに行っていた私。
ずらっと並んだ木の棚に
積み重ねて入れられた、小さな銀色の活字。
「俳句界」の読者の皆さんも、きっとあの
小さな活字を一つずつひろって組み合わせてはめ込んでいく、
活版印刷を懐かしく思い出されるのではないでしょうか。
私も小さいながらに
「これは自分には無理だな…絶対間違える。もしくは(活字を)失くす!」と
思いながら、おじさんの手元を飽きずに眺めていたものです。
実は先日、わが月刊「俳句界」の印刷をお願いしている中央精版さんへ
見学に行ってきました。
数年前に中規模の印刷会社へ見学に行ってはいたのですが、
やはり、大きな印刷所はその規模がまったく違いました!!
詳しくはどこまで書いていいのか分からないので書きませんが、
広い敷地にたくさんの機械が導入され、
「もう疲れたよ」なんて言うこともなく(当然)動き続けていました。
あの、誰もが知っている人気の作品が重版になっていて
思わず興奮してしまったり、
「俳句界」の7月号(6月25日発売)の表紙が工場にあって嬉しくなったり……。
普段、私たち編集部が原稿を渡してから、皆さんの手元に届くまで
いろいろな過程を経ていることは分かってはいたのですが、
働いているたくさんの方に挨拶をしながら、あらためて
「雑誌や書籍は本当にたくさんの人の手を経ているんだなあ…」
としみじみ感じた一日でした。
ではまた来週!
子どもの頃、近所にあった活版印刷の小さな工場へ
よく覗き見しに行っていた私。
ずらっと並んだ木の棚に
積み重ねて入れられた、小さな銀色の活字。
「俳句界」の読者の皆さんも、きっとあの
小さな活字を一つずつひろって組み合わせてはめ込んでいく、
活版印刷を懐かしく思い出されるのではないでしょうか。
私も小さいながらに
「これは自分には無理だな…絶対間違える。もしくは(活字を)失くす!」と
思いながら、おじさんの手元を飽きずに眺めていたものです。
実は先日、わが月刊「俳句界」の印刷をお願いしている中央精版さんへ
見学に行ってきました。
数年前に中規模の印刷会社へ見学に行ってはいたのですが、
やはり、大きな印刷所はその規模がまったく違いました!!
詳しくはどこまで書いていいのか分からないので書きませんが、
広い敷地にたくさんの機械が導入され、
「もう疲れたよ」なんて言うこともなく(当然)動き続けていました。
あの、誰もが知っている人気の作品が重版になっていて
思わず興奮してしまったり、
「俳句界」の7月号(6月25日発売)の表紙が工場にあって嬉しくなったり……。
普段、私たち編集部が原稿を渡してから、皆さんの手元に届くまで
いろいろな過程を経ていることは分かってはいたのですが、
働いているたくさんの方に挨拶をしながら、あらためて
「雑誌や書籍は本当にたくさんの人の手を経ているんだなあ…」
としみじみ感じた一日でした。
ではまた来週!
2016年6月22日水曜日
甘口取材~鈴木邦男さん
こんにちは、松本です。
22日は「甘口でコンニチハ!」の取材に行ってきました。
今回のゲストは、鈴木邦男さん。
政治活動家で、「一水会」の最高顧問です。
鈴木さんは、就職して、一度は政治活動家ら身を引いたものの、三島事件をきっかけに「一水会」を創設、以後活動を続けてこられました。
「三島事件」というと、私にとっては歴史の世界。
同じ時代を生きた人がいるのだという、当たり前なのですが、そのことに感じ入っていました。
さて、今回、鈴木さんは句集を持ってきてくださいました。
『銀河蒼茫』 野村秋介
(このお話は、掲載の時にじっくりと!! お楽しみに!!)
「あ、この句集知ってるぞ……特集でやったことがある」と思ったのですが、
その時は肝心の特集の名前がわからず……。
帰ってから調べてみたら、こちらでした。
「俳句界」2013年6月号特集 「壮絶な最期とその句集」
『銀河蒼茫』の論考を掲載しています。
著者は、野村秋介の生き方を支えたのは俳句だと紹介し、「あとがき」を引用しています。
読書につかれたとき、心さみしいとき、ときには絶叫したい衝動にかられたとき、私はきまって俳句を考えた。
(『銀河蒼茫』「あとがき」より)
鈴木さんは、『銀河蒼茫』以後、野村秋介はあまり俳句を作らなかった、とおっしゃっていました。
獄中の苦しみ、長い年月の苦行から湧き出たものが、野村秋介にとっての「俳句」だったのかもしれません。
それでは、また来週。
22日は「甘口でコンニチハ!」の取材に行ってきました。
今回のゲストは、鈴木邦男さん。
政治活動家で、「一水会」の最高顧問です。
鈴木さんは、就職して、一度は政治活動家ら身を引いたものの、三島事件をきっかけに「一水会」を創設、以後活動を続けてこられました。
「三島事件」というと、私にとっては歴史の世界。
同じ時代を生きた人がいるのだという、当たり前なのですが、そのことに感じ入っていました。
さて、今回、鈴木さんは句集を持ってきてくださいました。
(このお話は、掲載の時にじっくりと!! お楽しみに!!)
「あ、この句集知ってるぞ……特集でやったことがある」と思ったのですが、
その時は肝心の特集の名前がわからず……。
帰ってから調べてみたら、こちらでした。
「俳句界」2013年6月号特集 「壮絶な最期とその句集」
『銀河蒼茫』の論考を掲載しています。
著者は、野村秋介の生き方を支えたのは俳句だと紹介し、「あとがき」を引用しています。
読書につかれたとき、心さみしいとき、ときには絶叫したい衝動にかられたとき、私はきまって俳句を考えた。
(『銀河蒼茫』「あとがき」より)
鈴木さんは、『銀河蒼茫』以後、野村秋介はあまり俳句を作らなかった、とおっしゃっていました。
獄中の苦しみ、長い年月の苦行から湧き出たものが、野村秋介にとっての「俳句」だったのかもしれません。
それでは、また来週。
2016年6月21日火曜日
いよいよ暑さ本番…。
編集長の林です。
5月は祝賀会などのイベントが目白押しで、大変でしたが、6月は比較的少なく、休日出勤もすくなく過ごしています。
おかげさまであまり疲れていません(笑)。
やっぱり休日のリフレッシュは重要ですね~。
この間の休日はゆっくり横須賀の海辺を散歩してきました。(写真)
ついこの間は「鉄砲百合」の盛りでしたが、先日は「カンナ」がたくさん咲いていました。
カンナ燃ゆ…か。
と思わずつぶやいて「夏だな~」と思いました。
(「カンナ」は本当は秋の季語ですが…)
(「カンナ」は本当は秋の季語ですが…)
ところで最近、暑くなってきた。
「うまい」とか「素晴らしい」とか、そういうことでなく、一番「暑い」俳句、つまり読んでて一番暑さを感じる句ってどんな句だろうか。
無名の人の句だが、
アフリカで火事に出会ひし暑さかな
というのがある。
人から聞いた話だが、団鬼六さんが「堅気でない人」を集めて句会をやった時、席題「暑さ」で出た句だという。
最高点を取って、みんな口々に、
これは暑い…。
と言い、鬼六さんは、
べつに暑さ較べじゃないんだよ…。
と苦笑した、という。
でもなんとなくだが、温暖化で、アフリカより今の東京のほうが暑そうで、
東京で火事に出会ひし暑さかな
のほうが暑そうだ。
(でも、向こうは水やジュースがあんまり飲めないから、アフリカのほうが暑そうかな…)
夏が大好きなのだが、やはり最近の暑さは異常だと思う。
2016年6月17日金曜日
あ、暑い、、、
こんにちは、遠藤です。
今日は太陽がじりじりと照りつける夏日でしたね、、、
連日報道されている水不足、大丈夫でしょうか。
岩肌がカラカラに乾いたダムの映像を見て、更に心配になりました。
さきほど副編の松本さんに、水不足について聞いたら
「平成っ子は知らないのか~」と言われましたが、
東京生まれ東京育ちの友人(同い年)に聞いてみたところ、
過去に取水制限の経験があるようで。
「決められた数時間、蛇口を捻っても水が出なくなる」
「学校の蛇口が取り払われ、部活中水が飲めなくてつらかった」
と、なんとも恐ろしいことを聞きました。
恐らくずっと、雪解け水が豊富な山奥に生息していた私は
水不足の経験が無いのだと思います……!
上京して驚いたのは、雲ひとつない青空の日が何日も続くこと。
今まで住んでいた東北の田舎はだいたい曇り、あとは雨か雪ですからねぇ。
なにはともあれ、節水を心がけましょう。
2016年6月16日木曜日
変わるもの、変わらないもの
木曜担当の加藤です。
「梅雨入り」とどこかで耳にした途端、本当に雨ばかりの天気になるもんだなぁと
毎年この時期はいつも同じことを考えております(笑)。
先日、埼玉県にある浦和駅に行く機会がありました。
前職に就いていたころは、しょっちゅう寄っていた駅。
友人との待ち合わせ場所の伊勢丹も、よく知っているところだったのですが……
電車を降りて呆然。
「ここは……どこ?」
あまりの変わりように、改札を出てもどちらに行っていいか分からないほど
駅舎が改装されて綺麗になっていたのです。
そういえばあの頃も、改装工事中だったっけ、と思いながらも
思い出の場所が忽然と消えていることに一抹の寂しさを感じました。
なぜこの話を書いたかというと、
先日、JR山手線の原宿駅建て替えのニュースを見たからなのです。
原宿駅は1924(大正13)年に建てられた洋風の木造2階建てで、
都内の木造駅舎としては最古のもの。
1945(昭和20)年に空襲により直撃弾を受けますが、不発だったため
焼失をまぬがれ、現在に至るそうです。
東京オリンピックの2020年に向け、
すぐ近くにある国立代々木体育館にたくさんの集客が見込まれるため
新しい駅舎を現駅舎の南西に作るということでした。
今の駅舎を取り壊すかどうかはまだ決まっていないとのことですが…。
初めて原宿に行った、中学一年の秋。
部活の仲間全員で、気合いを入れてお洒落して竹下通りを歩いたっけ。
とんでもない人混みの中、皆で手を繫いで端まで歩ききったら、
ワンピースを着ていた友達のベルトがなくなっていて、大爆笑したこともありました。
代々木体育館に生れて初めてコンサートに行った、高校二年の冬。
今も、原宿駅はあの日のままの姿。
たくさんの人の思い出の景色にある駅舎を、
可能であればこれからも残していってほしいと思います。
ではまた来週。
「梅雨入り」とどこかで耳にした途端、本当に雨ばかりの天気になるもんだなぁと
毎年この時期はいつも同じことを考えております(笑)。
先日、埼玉県にある浦和駅に行く機会がありました。
前職に就いていたころは、しょっちゅう寄っていた駅。
友人との待ち合わせ場所の伊勢丹も、よく知っているところだったのですが……
電車を降りて呆然。
「ここは……どこ?」
あまりの変わりように、改札を出てもどちらに行っていいか分からないほど
駅舎が改装されて綺麗になっていたのです。
そういえばあの頃も、改装工事中だったっけ、と思いながらも
思い出の場所が忽然と消えていることに一抹の寂しさを感じました。
なぜこの話を書いたかというと、
先日、JR山手線の原宿駅建て替えのニュースを見たからなのです。
原宿駅は1924(大正13)年に建てられた洋風の木造2階建てで、
都内の木造駅舎としては最古のもの。
1945(昭和20)年に空襲により直撃弾を受けますが、不発だったため
焼失をまぬがれ、現在に至るそうです。
東京オリンピックの2020年に向け、
すぐ近くにある国立代々木体育館にたくさんの集客が見込まれるため
新しい駅舎を現駅舎の南西に作るということでした。
今の駅舎を取り壊すかどうかはまだ決まっていないとのことですが…。
初めて原宿に行った、中学一年の秋。
部活の仲間全員で、気合いを入れてお洒落して竹下通りを歩いたっけ。
とんでもない人混みの中、皆で手を繫いで端まで歩ききったら、
ワンピースを着ていた友達のベルトがなくなっていて、大爆笑したこともありました。
代々木体育館に生れて初めてコンサートに行った、高校二年の冬。
今も、原宿駅はあの日のままの姿。
たくさんの人の思い出の景色にある駅舎を、
可能であればこれからも残していってほしいと思います。
ではまた来週。
2016年6月15日水曜日
グラビア撮影~佐怒賀直美先生
こんにちは、松本です。
先週の金曜日、梅雨なのに夏のような暑さの日でしたが、「橘」主宰の佐怒賀直美先生の撮影に行ってきました。
「古河」駅で待ち合わせをして、先生が車で連れて行ってくださいました。
今回は、「雷電神社」(http://www.raiden.or.jp/)にて。
「橘」の松本旭先生が埼玉大学で教鞭をとっておられたころ、佐怒賀先生は生徒として松本先生と出会い、俳句を始められました。
こちらの宮司・江森さんもその頃聴講生で、佐怒賀先生が結婚式をあげられた思い出の場所だそうです。
お社から少し外れた場所に、その時に植えた記念の月桂樹があり、毎年初詣には家族で写真を撮っているそうです。なんて素敵な……!
その思い出の月桂樹。 もう樹齢三十年を越すとか。
雷電神社は、関東に多くある「雷電神社」の総本宮です。
本殿は、雷様のマークと、葵の御紋がしっかり刻まれています。
また、本殿の彫刻がとても素晴らしかったです。
(取材中に撮れば良かったのに、社殿の写真がありませんでした…。こちらはぜひ、グラビアでご確認ください!)
敷地内には、関東で最古の木造の社もあります。なんと、室町時代!
木造で残ることが出来たのは、ここが災禍に合わなかったからなのでしょうか。
また、この地域(板倉町)は、沼が多く、鯰の名産地だそうです。
こちらは、なでるとご利益がある鯰さん。カメラマンの山根さんと一緒に撫でてきました。
なんだかすっかり、旅行記になってしまったような……。
宮司の江森さんがいろいろとご説明してくださったので、とても幸運でした。
(でも、御朱印をいただくのを忘れてしまいましたので、また今度行きたいと思います)
最後の写真は、林になっていた巨大なきのこ!!
比較対象の手は佐怒賀先生です。
このきのこは何だろうね? と話していたのですがよくわからず。
もしご存じの方がいらっしゃったら、ぜひ教えてください!
佐怒賀先生ありがとうございました。
先週の金曜日、梅雨なのに夏のような暑さの日でしたが、「橘」主宰の佐怒賀直美先生の撮影に行ってきました。
「古河」駅で待ち合わせをして、先生が車で連れて行ってくださいました。
今回は、「雷電神社」(http://www.raiden.or.jp/)にて。
「橘」の松本旭先生が埼玉大学で教鞭をとっておられたころ、佐怒賀先生は生徒として松本先生と出会い、俳句を始められました。
こちらの宮司・江森さんもその頃聴講生で、佐怒賀先生が結婚式をあげられた思い出の場所だそうです。
お社から少し外れた場所に、その時に植えた記念の月桂樹があり、毎年初詣には家族で写真を撮っているそうです。なんて素敵な……!
雷電神社は、関東に多くある「雷電神社」の総本宮です。
本殿は、雷様のマークと、葵の御紋がしっかり刻まれています。
また、本殿の彫刻がとても素晴らしかったです。
(取材中に撮れば良かったのに、社殿の写真がありませんでした…。こちらはぜひ、グラビアでご確認ください!)
敷地内には、関東で最古の木造の社もあります。なんと、室町時代!
木造で残ることが出来たのは、ここが災禍に合わなかったからなのでしょうか。
また、この地域(板倉町)は、沼が多く、鯰の名産地だそうです。
こちらは、なでるとご利益がある鯰さん。カメラマンの山根さんと一緒に撫でてきました。
なんだかすっかり、旅行記になってしまったような……。
宮司の江森さんがいろいろとご説明してくださったので、とても幸運でした。
(でも、御朱印をいただくのを忘れてしまいましたので、また今度行きたいと思います)
最後の写真は、林になっていた巨大なきのこ!!
比較対象の手は佐怒賀先生です。
このきのこは何だろうね? と話していたのですがよくわからず。
もしご存じの方がいらっしゃったら、ぜひ教えてください!
佐怒賀先生ありがとうございました。
2016年6月14日火曜日
7月号校了
編集長の林です。
昨日は「俳句界」7月号の折丁チェック。
これであとは印刷製本を待つばかりで、ちょっとホッとしています。
ただ、8月号はインタビュー記事をまとめたり、やることがたくさんあります。
今週は10月号の企画を考えないと…。
ではまた。
昨日は「俳句界」7月号の折丁チェック。
これであとは印刷製本を待つばかりで、ちょっとホッとしています。
ただ、8月号はインタビュー記事をまとめたり、やることがたくさんあります。
今週は10月号の企画を考えないと…。
ではまた。
2016年6月10日金曜日
声掛け
こんにちは、遠藤です。
梅雨入りし、あじさいも咲き始めましたが
今日はとってもいい天気ですね。暑い!
今週は、毎月恒例の部決のため、取次へ行ってきました。
いつも「俳句界」について確認しなければならないことがたくさんあるのですが
今回はとくに、とある取次のご担当者様に聞きたいことがありました。
それは「大相撲5月場所初日、国技館にいらっしゃいましたか?」ということ……。
私はその日、国技館で毎月お世話になっている取次窓口の方をお見かけしました。
すれ違っただけなので、見間違いかもしれないな…と思いつつ観戦していると、
遠くの席にそれらしき方を発見!
取組そっちのけで、ご本人かどうか じーっと見つめてしまいました。
声をかけようにも座席が遠く、
わざわざ近くまで行って人違いだったら恥ずかしいので
ご挨拶せずに帰ってきてしまいました。
そのことをお話ししようと取次へ向かったのですが
今回だけ、窓口には別の方が……。
国技館の方は奥でお忙しそうにしており、結局お話し出来ずじまい。
そういえば最近、街中で「あ!〇〇さん!お久しぶりです」と
知らない人に声を掛けられました。しかも2回も。
(「違いますよ」と言うと、とても恥ずかしそうに謝られたので
怪しげな声掛け事案ではなさそうです)
私は比較的人の顔を覚えるのが得意なようで
「この人、どこかで見たことがあるな」ということがよくあります。
大学に入りたてのときに「サークルの先輩だ!」と思い挨拶したら怪訝な顔をされ
よくよく考えると近所のスーパーのバイトさん(話したこともない人)だった経験もあり…
街中で見知った顔をみつけても、なんだか躊躇してしまいます。
お顔と一緒にお名前も覚えられれば良いのですが
私の頭はそううまくできていないようです。
でもまあ、人違いだったとしても
私に声を掛けてきたおふたりのように
謝ればいいだけの話ですよね。
あまり考えこまず突撃したほうがいいのかもしれません。
来月取次へ伺うときは、例の国技館の方とお話しできればいいなぁ。
でも、今更ですね~…
2016年6月9日木曜日
初夏の秩父へ
木曜担当の加藤です。
少し前のことになりますが、5月28日(土)に秩父へ取材に行ってきました。
7月号(6月25日発売)に掲載する、彩の国秩父俳句大会の取材です。
彩の国秩父俳句大会は
今年、創立75周年を迎える「紫」の山﨑十生先生が中心となって
毎年秩父で開催している俳句大会です。
当日の朝、山﨑先生と、講師の岩淵喜代子先生と三人で、レッドアロー号に乗って秩父へ。
レッドアロー号は窓が大きく、
有名な武甲山が窓一杯に見えたときは感動!
…それなのに写真がないんです(上の写真は借りものなので春の武甲山)。
実は途中で、当日投句の席題句が発表され、私も一句詠むことになり
季寄せを握りしめて、必死に句を考えていたので
写真を撮る余裕がまったくありませんでした(編集者として失格ですね…)。
大会会場は、なんと秩父神社の参集殿。
会場の裏が神社だったので、大会前に山﨑先生に連れていっていただきました。
爽やかな五月の風の中、ちょうど結婚式が行われていて、
それはそれは素敵な光景でした。
秩父神社は、約2000年の歴史がある神社。
あの「秩父夜祭」でも大変有名です。
江戸時代初期の有名な彫刻職人、左甚五郎の作と言われている彫り物があり、
「こ、これはブログに!」と慌てて写真を撮ってきました。
これは「三猿」。
三猿といえば、日光東照宮の「見ざる言わざる聞かざる」が有名ですが、
ここ秩父神社の三猿は
「目を見開き、耳をすませて、何かを話している」猿なんです。
同じ徳川ゆかりの神社ですが、変わっていて面白いと思いました。
情報が溢れる現代では、
「自分の目でよく見て、自分の耳で聞いて判断し、それを伝える」、
この秩父神社の三猿がふさわしいのかもしれません。
それではまた来週。
2016年6月8日水曜日
とうとう梅雨入り
こんにちは、松本です。
東京は5日からとうとう梅雨入りしてしまいました。
この時期は、じめじめして洗濯物は乾かないし、油断するとクローゼットに黴がこんにちはしてくるし、……何より、グラビア撮影で雨にぶつかる日が多くなります(これが一番困る!!)。
でも、昔誰かから聞いたのですが、日本女性の美肌は、梅雨があるから保たれているのだとか。
湿気のうるおいに守られているそうです。
そう思うと、少しは気が晴れますね!(と無理やり納得させる)
それと、この時期は紫陽花が綺麗なので、今年こそは鎌倉とかに見に行きたいな、と思っていたら、まさに梅雨入りの日、渋谷の町中にも咲いていました。
東京は5日からとうとう梅雨入りしてしまいました。
この時期は、じめじめして洗濯物は乾かないし、油断するとクローゼットに黴がこんにちはしてくるし、……何より、グラビア撮影で雨にぶつかる日が多くなります(これが一番困る!!)。
でも、昔誰かから聞いたのですが、日本女性の美肌は、梅雨があるから保たれているのだとか。
湿気のうるおいに守られているそうです。
そう思うと、少しは気が晴れますね!(と無理やり納得させる)
それと、この時期は紫陽花が綺麗なので、今年こそは鎌倉とかに見に行きたいな、と思っていたら、まさに梅雨入りの日、渋谷の町中にも咲いていました。
まだ咲いたばかりの薄い青と紫の紫陽花と、白い紫陽花。
こちらはまだ花開いたばかり。咲きかけだと、花ひとつひとつの形が見えて、とても可愛らしい。
ぽちぽちと撮影していたら、通りかかった外国人女性が「Beautiful!」と歓声を上げて、同じように撮影していました。
街角の、ほんの一角だけに咲いていた紫陽花だったのですが、私が撮影していたことで目を止めてもらえたので、なんだか嬉しかったです。
紫陽花や白よりいでし浅みどり 渡辺水巴
あぢさゐの藍をつくして了りけり 安住 敦
さて、明日は「橘」主宰の佐怒賀直美先生のグラビア撮影です。
予報では、明日は晴れのようなので、ほっとしています。よかったよかった。
2016年6月5日日曜日
宗左近 詩碑建立
こんばんは、遠藤です。
5日の日曜日に、宗左近先生の詩碑除幕式にお招きいただき
取材をしてきました。
千葉県市川市を終の住処とした宗左近先生を偲び、
里見公園(市川市国府台)内に詩碑が建てられました。
写真は里見公園のバラ園です。
当日は受付開始までぽつりぽつりと、すこーしだけ雨が降っていて
最近なんとなく雨女な私は
「ごめんなさい…ごめんなさい……せめてこれ以上降りませんように…」と
祈っていました(・・;)
しかし、いざ除幕式が始まると雨は止み、野外での除幕式は無事終了。
詩碑建立事務局の代表・能村研三「沖」主宰が、ご挨拶で
「宗左近先生は晴れ男で…」とおっしゃっていたので
宗左近先生に救われた気持になりました。
会場を移しての祝賀会では、宗左近先生の詩の朗読をバックに
詩の世界を現したダンスパフォーマンスや
市川市民合唱団による市川讃歌「透明の蕊の蕊」(もちろん作詞は宗左近先生)の
合唱が披露され、市川市のさまざまな文化に触れることができました。
市の文化振興に力を注いだ宗左近先生。
その来し方を感じさせる祝賀会でした。
宗左近先生の特集は 月刊「俳句界」6月号 でご覧いただけます!
今会の様子は8月号に掲載します。
2016年6月2日木曜日
取材に行ってきました
木曜担当の加藤です。
先週、8月号の「私の一冊」の取材に行ってきました。
場所は、東京都日野市にある、高幡不動尊です。
当日の朝まで雨が降っていたので、少し心配だったのですが
午後には止んで晴れ間ものぞく、過ごしやすいお天気の中の撮影でした。
高幡不動尊は、都内有数の紫陽花の名所。
先週、8月号の「私の一冊」の取材に行ってきました。
場所は、東京都日野市にある、高幡不動尊です。
午後には止んで晴れ間ものぞく、過ごしやすいお天気の中の撮影でした。
高幡不動尊は、都内有数の紫陽花の名所。
まだ、上の写真ほどは咲いていませんでしたが(写真は借りものです)、
直前に降った雨のおかげか、
咲き出した白や青の紫陽花が瑞々しく色づいていて、とても綺麗でした。
8月号で「私の一冊」を紹介してくれるのは、
投稿俳句界トーナメントの選者でもある、堀本裕樹先生です。
今や、俳句関係の雑誌だけではなく、テレビや他ジャンルの雑誌、書籍、イベントなど
さまざまな媒体で活躍されているのは皆さんもご存知でしょう。
が!
なんと現在、CMにも出演されているとのこと。
思わず動画サイトですぐ確認し、
「す…すごい!(知ってる先生がCMに出てる!)」と叫んでしまいました。
※ちなみに、あの有名な「揖保乃糸」のCMです。必見!
この日は、長い間続けられている講座の帰りということで、ジャケット姿ではなく
少しラフな服装で現れた堀本先生。
とってもお洒落でした。
その後、先生に最近のお仕事のことなどを聞きながら、
(紫陽花撮影をする人たちと場所取りの攻防を繰り広げたりしつつ)
高幡不動尊での撮影は楽しく、快調に進んだのでした。
堀本先生の「私の一冊」や、素敵な写真は
少し先ですが7月25日発売の「俳句界」8月号にてご覧いただけます。
お楽しみに!
(撮影:山根衣里)
撮影終了後、ジャズの流れるいい雰囲気の喫茶店で
クリームソーダと「ちょびすけ」(チョコビスケットに生クリーム)という
甘党の私でも頼まない組合せをたのしむ、お茶目な堀本先生の写真で
今日のブログは終了です。
※堀本先生から掲載許可はいただいております。
それではまた来週。
2016年6月1日水曜日
貧血対策!
こんにちは、松本です。
水曜日担当なのにすっかり木曜日に書いているので、編集長に怒られました。
B型なので、きまぐれなのです。申し訳ない。
さてさて、今回は個人的なネタを……。
私は昔から貧血気味で、低血圧なので、立ちくらみを頻繁に起こしていました。
妹も同じなのですが、実家に帰ると、彼女が新しいアイテム「鉄瓶」を手に入れていました。
「コーヒー美味しいし、白湯美味しいし、鉄分もとれていいよ!」
とすすめられて飲むと、確かにおいしい。
実家はみなコーヒー党なので、朝食の食後には必ずコーヒーを入れるのですが、なんとなくいつもと味が違う……気がする。
30を過ぎてから、貧血に拍車がかかっている気配を感じていたので、私も購入しよう! と決めたのですが、なかなかよい鉄瓶が見つからない。
なにしろ、鉄瓶は高いのです!!!
良いものを買おうとすると、3万越えが当たり前。
その上、一人暮らし用にちょうどいい大きさがない。
(2リットル以上の規格がほとんど)
かといって、安いものでは肝心の鉄にコーティングがなされていて効果が薄かったりと、
思いがけず難問に。
一ヶ月かけて、ネットで鉄瓶ばかり見ていたのですが、このたびやっと理想のサイズ、値段、形のものを見つけました。
↓これ
1.2リットルで、南部鉄瓶らしいアラレ模様。
持ち手もかわいい。
これは良い買い物をしたぞ! とほくほく顔で、妹に上記の画像を送ったら、さっそく返事がかえってきました。
「私のと一緒だよ!!!! 吟味した結果同じやつとか……」
と失笑気味に言われました……。なんということでしょう。
さすが姉妹、と思いました。(うちの鉄瓶の方が妹ですね。)
大事に使って育てたいと思います。
実際使ってみたら、カルキ臭さが抜けて、ほんとうにまろやかなお湯になります。
水曜日担当なのにすっかり木曜日に書いているので、編集長に怒られました。
B型なので、きまぐれなのです。申し訳ない。
さてさて、今回は個人的なネタを……。
私は昔から貧血気味で、低血圧なので、立ちくらみを頻繁に起こしていました。
妹も同じなのですが、実家に帰ると、彼女が新しいアイテム「鉄瓶」を手に入れていました。
「コーヒー美味しいし、白湯美味しいし、鉄分もとれていいよ!」
とすすめられて飲むと、確かにおいしい。
実家はみなコーヒー党なので、朝食の食後には必ずコーヒーを入れるのですが、なんとなくいつもと味が違う……気がする。
30を過ぎてから、貧血に拍車がかかっている気配を感じていたので、私も購入しよう! と決めたのですが、なかなかよい鉄瓶が見つからない。
なにしろ、鉄瓶は高いのです!!!
良いものを買おうとすると、3万越えが当たり前。
その上、一人暮らし用にちょうどいい大きさがない。
(2リットル以上の規格がほとんど)
かといって、安いものでは肝心の鉄にコーティングがなされていて効果が薄かったりと、
思いがけず難問に。
一ヶ月かけて、ネットで鉄瓶ばかり見ていたのですが、このたびやっと理想のサイズ、値段、形のものを見つけました。
↓これ
1.2リットルで、南部鉄瓶らしいアラレ模様。
持ち手もかわいい。
これは良い買い物をしたぞ! とほくほく顔で、妹に上記の画像を送ったら、さっそく返事がかえってきました。
「私のと一緒だよ!!!! 吟味した結果同じやつとか……」
と失笑気味に言われました……。なんということでしょう。
さすが姉妹、と思いました。(うちの鉄瓶の方が妹ですね。)
大事に使って育てたいと思います。
実際使ってみたら、カルキ臭さが抜けて、ほんとうにまろやかなお湯になります。
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