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2016年6月29日水曜日

訃報

こんにちは、松本です。

入稿前で忙しい時期だというのに、昨日はお腹を壊してお休みをいただいてしまいました。

編集長が昨日のブログで「自分の体調は自分でしっかり管理するように!」と言っていると書いていますが、噓八百ですのであしからず~。

この編集部内で一番疲れが体に出るのは編集長かと思われます。
意外と繊細で、「昨日は眠れなかったんだよね、ぼく」と言ってダウンしています。
年かしら……。

以上、年甲斐もないやり返しでした。


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今日は出社したら、悲しいお知らせが机の上に置いてありました。
「橘」名誉副主宰の松本翠先生の訃報です。

先日、現主宰の佐怒賀直美先生と撮影でご一緒したばかりだったので、驚きました。
その時から、体調が悪いと聞いていたのですが、早すぎました……。

松本旭先生は、昨年の10月にお亡くなりになりました。

旭先生とは、グラビア撮影で二度ご一緒させていただきまして、いつも翠先生が付き添っていらっしゃいました。

旭先生はとても健脚で、時にわれわれを置いてすたすたと歩いて行かれて、「先生、待ってください!」とこちらが追いかけることもしばしば。

奥様に対して、「翠さん」と呼びかけられるのが素敵で、未婚の私は「こんな夫婦が理想だな~」と思っていました。

お二人は、埼玉の上尾にずっとお住まいでした。それこそ、戦後の何もない時代から、上尾の自然と発展を見守ってこられたとか。
翠先生が、
「戦後はこのあたりは何にもなくって真っ平でねえ。今ではこんなに賑やかになっちゃって」
と感慨深げにおっしゃっていたのが印象的でした。
戦争を知らない私には、その移り変わりの一端すら想像できませんでした。
戦後の焼野原から復興していった街をどういう思いで見つめ、暮らしてきたのか。お二人の眼差しには今の日本がどう見えているのだろうか……、と思ったものです。

「橘の目指すもの」の中に、こんな一文があります。

一、自分を”生み出でしもの”への感謝を忘れまい。そこからゆたかな俳句が生まれる。

生み出でしものとは、両親・先祖だけでなく、この上尾の地も含まれているのでしょう。



この仕事をしていて、訃報に接することが多いのですが、ご夫婦で続けて……というのは初めてだったので、切ないです。

しかし今頃きっと、久しぶりの再会を喜んでいらっしゃるのでしょう。

謹んでご冥福をお祈りします。


栗の花妻後ろよりもう来るか     旭

濃あぢさゐ見えぬとこから声がして  翠

          (「橘」2016年6月号より)

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