こんにちは。
編集長の林です。
今日は雑誌の追い込みなのですが、副編集長の松本が風邪で休んでおります。
どうやら寝冷えのようです。
おやおや…。
仕事に厳しく自分に厳しく
がモットーの私は、
自分の体調は自分でしっかり管理するように!
とふだんから口が酸っぱくなるくらいスタッフに言っているのですが…。
やれやれ…「親の心子知らず」とはこのことですな…。
さて、週末は「おくのほそ道」踏破の旅に行ってきました。
今回は栃木県日光から福島県白河まで。
まずは日光駅を降り、雨けぶりの日光の山々をのぞみながら、玉入(現・栃木県塩谷郡塩谷町玉生)へ。
「おくのほそ道」踏破の旅は、芭蕉の同行者・河合曽良が残した「随行日記」を便りに、芭蕉の歩いた道を忠実に歩くのである。
玉入は、芭蕉が宿泊した町、こういってはなんだか「こんな町があったのか」というほど小さな小さな町でした。
玉入を抜け、芭蕉が、詩の妖精「かさね」と出会い、
かさねとは八重撫子の名成るべし
(かさねとは やえなでしこの ななるべし)
と曽良が詠んだ、広大な那須野原をひたすら歩くと黒羽へ。
啄木も庵は破らず夏木立 (雲厳寺)
(きつつきも いおはやぶらず なつこだち)
(那須湯本 殺生石)
田一枚植て立ち去る柳かな (芦野 遊行柳)
(たいちまい うえてたちさる やなぎかな)
※私はこの場所が泣きたくなるくらい好きである。
卯の花をかざしに関の晴着かな 曽良 (福島 白河の関)
などを歩いてきた。
この踏破は正直、これまでの東海道、中仙道踏破とくらべてかなり危険である。
宿がないのと、近くに電車が通っていないところばかりなのだ。
綿密に考えないと大変なことになると思う。
ともあれ、やはり「おくのほそ道」はいい。
不便ではあるが、感動がたくさんある。
今回は黒羽の住人で芭蕉の弟子だった桃雪宅跡や翠桃宅を訪ねたり、曽良の「随行日記」を見て、芭蕉が行ったというところすべて歩いてゆくので大変である。
マニアックな話がたくさんあるが、長くなるのでこころへんで。
「おくのほそ道」好きのみなさん、ぜひ一度集まって「おくのほそ道話」で飲みたいですな…。
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