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2016年8月30日火曜日

女性俳人の時代~大木あまりさんのこと、マイペースの素晴らしさ



















編集長の林誠司です。
「俳句界」は今日から10月号の入稿作業。
いよいよ大詰めです。
心配していた台風も(今のところ…)大丈夫そうで、しずしず(?)と作業を進めています。

先日、打ち合わせで読売文学賞受賞作家の大木あまりさんとお話することがあり、その中の一言、

表現者は栄光のもっとも遠いところにいなければならない。

 に圧倒され、ぜひ、この言葉をみなさんに紹介したい、と思いました。


イエスよりマリアは若し草の絮         大木あまり
火に投げし鶏頭根ごと立ちあがる
花こぶし汽笛はムンクの叫びかな
女番長よき妻となり軒氷柱
春の波見て献立の決まりけり


大木さんは現在、無所属で活躍の女性俳人。
その鋭敏な感性と豊かな抒情はだれもが認める優れた女性俳人です。

協会にも結社にも属さず、マイペース(?)で活動されていて、俳壇の集まりにも顔を出されることもめったにありません。
それゆえか、これまで目立った受賞もなかったのですが、数年前、読売文学賞という輝かしい大きな賞を受賞されました。
とくに多くの女性俳人にあこがれを以て支持されている方です。

「そんなこと言ったって読売文学賞という栄光を受賞しているじゃない…」と思われる方もいるかもしれません。
そうではないんです。

私はこの言葉は「反骨」というよりは「マイペースの美学」だと思います。
もちろん俳句は真剣にやります。
しかし、賞や人の目、立場や序列など、そういうことと俳句は無縁でなければならない、というのがあまりさんの考えです。

自分の為に俳句をやっているんでしょ?

とも言っておられました。

たしかにそうですが、どうしてももろもろのことが気になってしまうのが「俗人」のサガ…。

今や協会の8割が女性で構成されて、まさに女性俳句の時代ですが、こういう清々しい…というか、「マイペース」なのが、女性俳句のいい意味での特徴なのではないでしょうか。

やれ、芭蕉を読まなきゃいけないとか、やれ、虚子を勉強しなきゃいけないとか、男たちの「たわごと」(?)をさらりとかわし、「私は私の俳句をやります」というのが魅力で、こういう女性俳人がもっと増えてもらいたい。
そして、この素敵な志を多くの女性俳句愛好者に伝えたい、と今、考えています。

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