こんばんは、松本です。
先週の金曜日、5月号のグラビア撮影で、大宮公園に行ってきました。
今回は、「私の一冊」で、「雅楽谷(うたや)」主宰の中田水光先生です。
椿の下でぱちり。
(撮影・山根衣理)
いつもは、先生方に縁の土地をご紹介いただくことが多く、編集部で撮影場所をご提案することは、実はあまりありませんでした。
が、今回は、先生がロケーションをお任せ下さる、とのことでしたので、お住まいの蓮田からそう遠くなく、でも自然のある場所……と探しまして「大宮公園」にしました。
公園内もいいなと思ったのですが、ここには武蔵の一の宮、「氷川神社」があります。
創立は、なんと今から二千年以上も前の、第五代孝昭天皇の御代!!
しかも、日本武尊(ヤマトタケル)が東夷鎮定の祈願に訪れ、源頼朝が社殿再建を指示した、という由緒ある神社です。
よし、ここにしよう! と思って事前に先生にご連絡し、待ち合わせしました。
先生はとても気さくな方で、撮影しながら、俳句の話や、大学教授としてのお仕事についてなど、いろいろなお話をお伺いできました。
そして、氷川神社での撮影を終えて、他の場所に移動しているときに、
「そういえば、私の名前は、氷川神社で付けてもらったんです」
という衝撃発言が!
「ええ、そうなんですか!? すごいご縁がある神社ではないですか!」
と思わず叫んでしまいました(笑)。
先生は、昭和20年6月のお生まれ。
終戦間際の、一番苦しい時でした。
お父様は大陸に出征しており、名づけ親がいないため、困ったお母様は氷川神社を訪れて名づけてもらったそうです。
私の好みで選んだ場所が、先生の始まりの神社であるという……すごい偶然に、嬉しくなりました。よくやった、私。
生まれた時代が時代だったので、食料がなく、子供が亡くなってしまうことが多かったそうですが、
幸運なことに、お乳がとてもよく出る方が近所にいらっしゃったそうで、その頃生まれた子供は、みなその方にお世話になったのだとか。
先生は一人っ子ですが、たくさんの「乳兄弟」がおり、今もお付き合いが続いているそうです。
地縁がどんどん薄くなっている今……血よりも濃い絆があるというのは、素敵だなと思いました。
戦争がこういう繫がりももたらすのだ、というのは、少しだけ救われる思いがします。
そういえば、先生のご本名は「雅」の字が入っており、俳誌も「雅」が入っています。
「雅楽谷(うたや)」はお住まいの蓮田にある古い地名です。
俳誌に込められた思いが、自然と伝わってきました。
先生、たくさん歩かせてしまいましたが(笑)、とても楽しかったです。
ありがとうございました!
先生の「私の一冊」は何か、それは5月号に掲載されます。
氷川神社でのお写真と掲載ですので、お楽しみに!
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