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2016年9月26日月曜日

たむらちせい 「土佐一国」を読む

こんにちは、編集長の林誠司です。

10月号は読んでいただけただろうか。
手前味噌だが、たむらちせいさんの「土佐一国」はぜひ読んでいただきたい、と思っている。

数か月前のことである。
たむらさんから丁寧なお手紙が来た。
かいつまんで言うと、

自分も年でもう旺盛な句作は展開できない。
生まれ育った「土佐」の歴史と風土への思いを込めた大作を作りたいので掲載できないか?

というものだった。
社長の了解を取り、たむらさんにそれを伝え、生まれたのが、今回の「土佐一国」50句である。
期待通りの力作だった。
好きな句を挙げたい。
みなさんにはぜひ「土佐」を意識しつつ鑑賞していただきたい。

サーファーの女身遍路とすれちがふ
・「いにしえ」と「現代」との時空の交錯。背景は土佐のまっしろな黒潮の高波。

真言の海秋暁の星ひとつ
・「室戸岬」と前書きがある。室戸岬は真言宗の祖・空海が悟りを開いたところ。岩胴にこもっていた空海に、暁の星が現れ、空海の喉に飛び込んできた…という伝承がある。

赤トンボ爆弾抱いて征きました
戦争、そして特攻兵のことを思っているのだろう。「赤トンボ」とは戦争時の練習飛行機のことらしい。どれほどの若き命が爆弾を抱いて征ったことだろう。目の前の赤とんぼが、作者の幻影の世界へといざなっているのではないか。「土佐一国」と言っても、作者の人生があってこその風土なのだ。

まだ生きていたかと握手敬老会
敬老会でもあり、同窓会でもあるのだろう。「ひさしぶり」「元気だったか」などでは伝えきれない、同志のような絆が「まだ生きていたか」という呼びかけなのである。

柴神に紅白の幡小鳥来る
「柴神」という言葉を初めて聞いた。調べてみた。すごい言葉だな~と思った。風土というものが凝縮されているような言葉だ。山、峠が多い土佐に似つかわしい神だと思った。

わが側を龍馬駆けゆく花芒
斃るるはいつも若者千草道
・龍馬脱藩の道…あの山深い峠の風景が思い浮かぶ。「土佐沸騰」の頃、「若者」には幕末と戦争の両方の思いがあるだろう。

そのほか感銘句。
自由民権ここに発する夜学かな
月光に見し烏瓜昼は見ず
外厠まで走りゆく野分婆  ※すごいばあさんだ。これが土佐の女なのか?!
廃仏毀釈の果は石塊荻の声   ※廃仏毀釈は明治動乱そのものだ。

最後の二句、

秋潮のまぶしきかぎり土佐の国
平成の終らむとして鶴渡る

これは「絶唱」だろう。
「平成」の句は先般の天皇の生前退位を踏まえての句である。
現代だってちゃんと先生は見ている。

本当にいい作品を掲載出来てうれしい。
どうか、目先の新しさばかりに目を奪われず、こういう腰の据わった俳句も評価してもらいたいと思うのである。

2 件のコメント:

  1. 読みました(*^▽^*)
    特に 外厠まで走りゆく野分婆・・
    野分婆には、びっくりしました。はちきんなのですね。
    三泊みなと

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  2. ありがとうございます。「野分婆」ってすごいですよね。髪振り乱してる感じがします。

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