先日、上野恩賜公園に行ってきました。
上野に行った目的は、鈴本演芸場の早朝落語だったのですが、
たまたま通りかかった恩賜公園の入口に、ひと足早く綺麗な桜が咲いていて
思わず公園の中を散策してしまいました。
上野恩賜公園は、江戸時代から有名な桜の名所。
吉野山から移植させたといわれる約1200本の桜が、公園中通りを中心に
満開となると、大勢の花見客で賑わいます。
中通りの桜はまだ蕾でしたが、訪れた人たちが皆何となく空を見上げていて、
「そろそろかな」という期待感が公園に溢れていました。
やはりこの時期はいいですね。
そして、上野恩賜公園といえばここ。
春風やまりを投げたき草の原
正岡子規記念球場です。
記念球場には、上記の子規の句の、ボールの形をした句碑もあります。
この日は日曜ということもあって、少年たちが元気に野球の試合をしていました。
子規が、日本ではまだ珍しかった「野球」を愛好していたことは有名ですが、
実はここ、上野公園でも野球を楽しんでいたのだそう。
ちなみにポジションはキャッチャー(意外!)。
子規の随筆「筆まかせ」には、明治23年3月21日午後に上野公園博物館横空地で
試合を行なったことが記されています。
「俳句界」2015年11月号の特集「正岡子規の野望」で、
スポーツ評論家の玉木正之さんが挙げている、子規の短歌もご紹介。
打ち揚ぐるボールは高く雲に入りて又も落ち来る人の手の中に
今やかの三つのベースに人満ちてそゞろに胸の打ち騒ぐかな
「男に生まれ変わったら甲子園を目指して野球をやりたい」と、
かつて本気で思っていた私としては、この子規の短歌を読むと心が騒ぎます。
時代をこえて、今の私たちにも直球で伝わってくる子規の言葉。
あらためて、子規が病気をせず、元気で長生きしていたら……と考えた、
日曜の午後でした。
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