語らずして語る俳句
芥川龍之介佛大暑かな 久保田万太郎
7月(の後半)になると、この句を思い出す。
うまく言えないが、この句を呟くと、
暑い…。
と思う気持が不思議と湧いてくる。
この句はご承知の通り、芥川龍之介が自殺した時の、万太郎の弔句である。
万太郎と龍之介は同じ下町の生まれで、両国高校の先輩、後輩だった。
「大暑」という言葉がこんなに効果的な俳句を他には知らない。
この句は、「芥川龍之介佛」と「大暑」の取り合わせだけの句である。
普通なら、もう少し「悼む」気持をしゃべりたくなるものだが、そんなことは一切言っていない。
言っていないのに、芥川を悼む気持がひしひしと伝わってくる。
龍之介と万太郎は、俳句を見せ合ったりした仲だったから、天国の龍之介も「見事!」と思ったのではないか。
同じように何も感傷や説明を何も述べず、悼みの気持を述べた句がある。
鎌倉右大臣実朝の忌なりけり 尾崎迷堂
「実朝」とは、鎌倉幕府三代将軍・源実朝である。
頼朝の子で、二代目将軍・頼家の遺児・公暁に、鎌倉鶴岡八幡宮で暗殺された。
芭蕉や子規も認める、優れた歌人で、その歌風は「万葉調」と呼ばれ、今も人気が高い。
(私も大好きである。)
春の大雪が降る日で、鶴岡八幡で行われた右大臣就任儀式の途中であった。
この句も、何にも言っていない。
ただ、「鎌倉右大臣」という言葉だけが添えられているだけだ。
親の頼朝は「右中将」だった。
「右大臣」は当時、源氏の武家としては最高の出世であった。
この上位には「太政大臣」と「左大臣」しかいない。
ただ、厳密に言えば、政治はすでに鎌倉幕府が執り行い、京都の朝廷が授かる位階などは、すでにあまり大きな効果はなかった。
この句は、「鎌倉」もいいが、きっと「右大臣」がいいのだ。
「太政大臣」「左大臣」では位階を極めすぎている。
句が華やかになってしまう。
太政大臣は常設ではなく、ふだんは左大臣が最高位であるから、太政大臣、左大臣では位階を極めすぎて華やかになってしまうのである。
この「途中」というところに、実朝の悲劇性が感じられるのである。
また、すでに、政治の実権は源氏将軍には無く、北条政子や、執権の北条家が握っていた、ということを考えれば、そこに「悲しみ」も出るだろう。
もちろん「暗殺」ということも念頭に置けば、なおさら「悲しさ」が湧く。
しかし、俳句はただただ味わうものである。
そういうことを考えたりしなくても、この句を呟くだけで、なにかしらの「かなしび」は湧いてこないだろうか?
万太郎の句と同様、俳句は語らずして語ることが出来る。
そのお手本のような二句である。
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