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2016年5月2日月曜日

朴の花   森 澄雄
















朴さいて大和に花を一つ足す     森 澄雄



先日、東京荻窪にある「すぎなみ詩歌文学館」を訪ねた。
角川書店創業者・角川源義邸跡である。
今はNPO団体が管理、手入れをしていて、庭園には四季折々の花が咲いている。

この時期、ここを訪ねて楽しみにしているのが「泰山木の花」である。
入り口を入って右に進み、文学館には入らず、そのまま直進すると、庭の隅にその木はある。
源義が、かつて、

ロダンの首泰山木は花得たり

と詠んだ、その「泰山木」である。

この句は難解だと言われるが、確かにそうだ。
この句がわかれば「二句一章」がわかると、よく言われたものである。
説明してもいいのだが、長くなってしまうので今回はやめておこう。
よ~く眺めてみたがその「泰山木」はまだ「花を得て」いなかった。

その手前に朴の木があり、そこには写真のように(逆光でよく見えないが…)見事な花を得ていた。
朴の花もいい。
初夏の空気の瑞々しさを象徴するような花である。
純白の花弁もいいし、その周りの、香り立つような青葉もいい。
つねに天に咲いて、下からはよく見えないというのもいい。
「孤高」を感じる。

掲句。
大和…つまり奈良は盆地である。
高い山もなく、全体的に平らかである。
それゆえ古代都市となったのであろう。

それだけに遠くで咲いている朴の花はよく見える。
そのそばでは花菖蒲や百合なども咲いているのであろう。
夏が始まったばかりの瑞々しい大和の風景がありありと浮かんでくる。
大和の歴史を奥底に秘め、田園ののどかさを詠っている。
古代から続く豊かな時の流れ、時の厚み…、それが森澄雄が生前よく言っていた「めでたさ」というものだろう。
また「山の辺の道」を歩きたいものだ。

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